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しだれ梅や桜、花桃が咲き誇る城跡

土岐高山城は、江戸時代に編纂された「濃州小里記」の中では鎌倉時代(13世紀)の築城とされていますが諸説あります。 南北朝時代から室町時代(14~15世紀)にかけての領主は土岐高山氏でしたが、遅くとも戦国時代(16世紀)中頃には平井氏へと交代しています。 当地は織田信長と武田信玄・勝頼父子の所領の境界線上に位置したため、度々争いが繰り広げられました。 本能寺の変(1582年)後、森長可の東濃平定に抗ったため城主平井頼母は滅ぼされ、高山城も森氏のものとなりました。 関ケ原の合戦(1600年)の際には、西軍方の岩村城主田丸直昌の支城となっていましたが、東軍方の妻木城主妻木家頼の攻撃により城下を焼かれ 落城しました

土岐高山城跡 春
土岐高山城跡

土岐高山城跡には現在、物見櫓が建てられ土岐市街地を一望することができます。2016年に土岐高山城跡一帯が岐阜県環境保全モデル林「土岐高山城跡の森」として整備されました。春は約200本のしだれ梅、約350本の花桃が咲き誇り、桜の古木も美しく、多くの人でにぎわいます。

土岐高山城跡
土岐高山城跡

土岐高山城跡のふもとにあるのは下街道高山宿です。江戸時代から明治時代にかけて、下街道は中山道恵那槙ヶ根追分から名古屋城下を結ぶ庶民の街道として多くの旅人や荷物が行き交い、その中間地点である高山宿は馬継場、宿場町として栄えました。下街道は中山道よりも峠が少なく利便性が良いため、善光寺参り、御岳参り、伊勢神宮参りの人々が往来し、信州、美濃、尾張から出荷される荷物が牛馬によって輸送されました。

土岐高山城跡 高山宿
土岐高山城跡 高山宿

南宮神社北側に位置する下街道には、桝形が残っています。下街道沿いには、解説の看板も建てられており、街並みを歩きながら宿場の歴史を感じ取ることができます。

住所:岐阜県土岐市土岐津町高山485

TEL0572-55-0112(問い合わせ:高山城高山宿史跡保存会 事務局) 

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